私共、喜多品の先祖は山形屋九右ヱ門といって江戸時代初期、元和5年に伊勢国、上野より藩主の移封に従って当地へやってきました。代々賄方(まかないがた)(藩主の食事係)として仕えて来ました。
明治になって廃藩置県となりその後は「山九楼」といって料亭などを営んでおりましたが、15代九右ヱ門の弟、北村品次郎が古代よりこの地に継承されてきた「紅葉鮒鮨」の製法技術を守り通そうと、屋号も北品から「喜多品」へと商標登録をして販路拡大に努めました。
16代目となる父品二郎は、幼名「一郎」といって8人兄弟の長男でした。終戦となり、昭和23年シベリアからの帰還後は、琵琶湖周辺の漁師さんや農家の方々の協力をいただきながらボツボツ、コツコツ鮒寿し造りを再開しました。
私は両親の命令で中学2年の時、京都の下鴨中学へ転校することになり、高校、大学へと進学しましたが、大学二年の時「調理師法」という法律が制定されましたので、2年間京都で料理の勉強をし、 昭和35年12月に調理師免許を取得しました。その後、父の指導のもと郷土の特産品としての鮒寿しづくりに励み、現在にいたっております。